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映画「MEN」を観てみた

あらすじ

夫の死を目の前で目撃してしまったハーパー(ジェシー・バックリー)は心の傷を癒すため、イギリスの田舎街を訪れる。

そこで待っていたのは豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリー(ロリー・キニア)。

ハーパーが街へ出かけると少年、牧師、そして警察官など出会う男たちが管理人のジェフリーと全く同じ顔であることに気づく。

街に住む同じ顔の男たち、廃トンネルからついてくる謎の影、
木から大量に落ちるりんご、
そしてフラッシュバックする夫の死。

不穏な出来事が連鎖し、
“得体の知れない恐怖”が徐々に正体を現し始める。ーーーー公式サイトより抜粋

 

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※以降所感になりますのでネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

所感

第一に感じたことは「なんでこの映画、こんなに評価低いの?」である。

めっっちゃ面白くない????これ、面白くない???

ちなみにわたしはめちゃくちゃ面白かった。というより「興味深かった」に近いかな。Funよりinterestingに近い。

おそらくその評価の理由は「なんか怖いけど、イマイチ意味がわからん」「なんとなく伝えたい意味は分かったけど、もやもやして気色悪い」っていうのが大半なんじゃないか。ここからはわたしが独断と偏見で感想を綴っていく。まぁ、感想なんて独断と偏見だよな。

もし、この映画の低評価に否定的な感情を抱いた人が、この感想を読んで、同じように感じたやつがいたか~と思ってくれたらうれしい。

 

 

たぶん、この映画を面白いと感じる層は、女性の中でも男女の違いや性差別の問題、ジェンダー、フェニミズムに関心があったり、あるいはミソジニーや男性優位社会を感じたことがあったりする人じゃなかろうか。わたしもその部類なのでめちゃくちゃこの映画、衝撃的だった。女性の中でも、ここら辺の関心が薄い人やあんまり感じたことがない人は「なんじゃこりゃ」って感じなんじゃないかな。

 それと同時に「もしかしたら(大半の)男性には、この恐怖は伝わらないんじゃないか」という感想も抱いた。この映画、男性が見るか・女性が見るかで、だいぶ感想が分かれるというか、面白さに分断がでてしまう映画である気がする。でも、その抱く感想の分断を産むことができる映画が作れるってすごいな~というめっちゃ小並感な気持ち。

 個人的には「完全に男性嫌悪の人」というより「別に男性全般を嫌悪しているわけではないが、うっすら否定的な気持ちを持っている人」にこそ見てほしいと思う。わたし自身が学生時代だけでなく社会人になってからも「うっすら男性が嫌いな部類」に所属しているからこそ、余計に感じている部分である。夫のことは愛しているんだけどね。だからこそ、余計にって感じなんです。

 

 

「じゃあ、これってフェニミズム映画なの?」と聞かれたらその答えは「いいえ」と答えたい。そんな単純なもんじゃないよ、これ。」「フェニミズム映画のようで、それだけではない」

映画の冒頭にも登場する「リンゴ」だが、これはカントリーハウスの所有者であるジェフリーも語っていたが「真実の実」である。キリスト教における「りんご」はエデンの園に実るものであり、蛇にそそのかされたエヴァ(女性)が果実をかじり、アダム(男性)にかじらせ真実を知ってしまう(、認識させてしまう)……というもの。こういったキリスト教の知識・・・というより「ひらめき」や「解釈」がないと、まずこの映画の意味が分かりづらいんよな。

ちなみに、この作品の冒頭では主人公であるハーパー「のみ」がりんごをかじっている描写がある。この「のみ」っているのが重要だったんやなぁっていうのを後々感じた。

わたしはこれを「第二の真実」と仮定づける。この真実というのは主人公(女性)がみた「男性の姿」なんよ。いや、知らんけど。

原題の「真実の実」……便宜上、第一の真実とします。この「第一の真実」ではエヴァとアダムはそれぞれが女であり、男であると知るわけやね。それぞれが別の性別であり、そして「女性」と「男性」に所属していることを知ってしまう。今現在に生きる私たちは、この「原罪」である「第一の真実」はすでに知っている体で生きているっていうのがキリスト教での理解なんだよな。

だからこそ、よ。ハーパーのみがりんごをかじった状態ってことは、ハーパーのみが「第二の真実」を知ったままだということなんだよね。ジェフリーが「りんごはほっといているから、腐りおちていくだけだし、スズメバチも来るから好きにしていい」みたいなことを言うんだけど、ジェフリー(男性)は「気にも留めていない」んだよね。

この表題の「men」だって男性の複数形だから「男性たち」っていう意味があるわけだけど、その真意は「男性一般」を指示している。「同じ顔の男たち」っていう副題だけど、「主人公にとっては」同じ顔(性質)を持つ男性たちってことなんだと、映画を見てからわかった。

余談だけど、なんかCMとかは「同じ顔の男たちが追いかけてくる」的な感じじゃなかった???そこも、正直宣伝ミスだったんじゃね…って思ったな。(あと来場者特典に綿のハンカチ渡してたよね……笑)

 

※あとで監督のコメントやキャストを見たんですけど、男性は夫だけ別の役者さんで、そのほかは同じ役者さんだったらしい。でも、これも「わざと」そう作りこんだそう。ちなみに、主人公が「同じ顔である」と指摘しなかったのも故意だとのこと。後述します。

 

 

当たり前なんだけど、出てくる「男性」たちのクソなこと!!!!!!

元夫、ジェフリー、司祭、道端にいた青年、警察……みーーーーーんな本当に「クソ」。でもたぶんそう感じるのは、私が「うっすら男性が嫌いな部類」だからだと思う。とてもフラットな視線(って言いたくないけど)、その視点から見ると「よくあること」でもあるよなと一種の悲壮を感じた

 

夫は暴力をふるうし、おそらくモラハラっぽいことをしているんやろうなと感じざるを得ない糞野郎なんだけど「離婚するなら自殺する」と主人公に迫る。結局主人公は「我慢する」という選択しかないような追い詰められ方をする。これ、パートナーや家族にされたことある人いるんじゃね……ちなみに私はある。

ジェフリーはところどころ、夫のことについて聞いてきたり、プライべートなことを突っ込んできたり、「それ、男性にも同じこと聞いてる?」と思わざるを得ないような質問を投げかけてくる。いわゆる「セクハラ質問」みたいな。

極めつけは司祭。特にこの人は「聖職者なのに」っていう背景も含めて絶望が大きい。「夫の自殺はあなたが夫に謝罪の機会を設けなかったからだ」と絶対にいっちゃいけないことをいう。でもこれって痴漢やDVや性犯罪を被った女性に「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」とか「彼にも家族や人生がある(んだから、あなたが我慢しろ)」ていうのいうのとまるっきり一緒なんだよね。うげぇぇぇ、しんどい。

警察はハーパーが不審者の訴えをするにも関わらず、あんまり真剣には取り合ってくれない。確かにストーカーされても実害がないと捕まらないんだよね。しかも「追いかけてきた」と訴える主人公に「男性はあなたを1回みただけで、あなたがたまたま2回みただけじゃない?」……と返答。

 そういった何となく居心地が悪いやり取りが続いて、せっかくのリフレッシュにどんどん暗雲が立ち込めてくる。

ここに光がさす瞬間があるんだけど、それは主人公が女友達に電話をするシーン。ルームツアーをしたり、男たちの愚痴を言いあったり…でもそれもただの光じゃなくて、しばしば電波の不調とともに叫んでいる男性の顔がテレビ電話中に挟み込まれる。なんつー不穏な光なんだ

 

終盤、ストーカーを皮切りに様々な男性たちが屋敷に襲い掛かり、ハーパーは勇敢にも立ち向かっていく。おそらく最も衝撃的であろう最後の男性たちが生れ落ちていくシーン…。面白いのは主人公が最初こそ恐怖におののいた顔をしているんだけど、だんだんと無表情になって眺めているんだよね。

何となくあの感情に見覚えがあって、というのも「うっすら男性が嫌いな部類」のわたしたちが、散々感じたことある感情なのよ。最初こそ、相手からされてきたことに嫌悪や恐怖を感じるんだけど、だんだん何をされるのか、どんなことが起こるのか分かってしまって、どんどん「男性全般」に対して冷めた気持ちになっていく過程とそっくりなんだよね。

ちなみに、主人公のもつナイフは「男性器」つまりは「男性性」のメタファーなのかな~と。司祭ともみ合うときに、観ていて結構性的にドキドキするようなシーンの作り方をしていて(それこそ、おっぱじめているような見え方なんだけど)、その最後にハーパーがナイフで刺すのよね。そのシーンの司祭の表情もまさにって感じで……

細長いものであり、「刺す」ものでありってなると、フロイト的な見立てをするともう「男性器」だよな~と思ったり。襲い来る男性たちに対抗したのが、あの細い「ナイフ」っていうのが、そうとしか解釈できなかった。

最後に生れ落ちたのが夫で、その夫からは「君のせいで自殺した」と語られる。陳腐な映画にしたかったら、ここで二人は語り合い、泣きながら抱きしめあっただろう。(そうして、彼女の罪は許された、みたいな結末に持っていくはず)。

ところがどっこい、この映画は裏切らない。彼女は斧を握りしめて場面は暗転する。

 

明朝、彼女のSOSを聞いた友達が庭に座り込む彼女を見つけるシーン。すげぇ…やられたな…と思ったのは友人が妊娠している描写があること。

ちょくちょく綿毛がふわふわと舞うシーンがあって、これも隠喩として「生殖」を示しているんだろうと思ってたんだけど、その隠喩を、主人公を助けていた友人に集結させるって、この映画の難しいところをよく示しているなと思った。

 

完全な男性嫌悪の立場や、現在の家父長制に対抗する立場であれば妊娠している「女性」である友達も男性に与する「敵」と解釈することができるんだけど、これはそうじゃないんだよね。結局、男性だろうと女性だろうと「人間」という大きなうねりの中では等しく、また生殖はその根源に連綿として横たわるものだから切っても切れないわけで。そして、「愛」の集大成としてが「妊娠・出産」と結論付けると、映画冒頭・エンディングの曲にもつながってくるわけで。

友人が出てくる前にグロテスクとしか言いようがない出産シーン(?)があったからこそ、友人の妊娠がふわふわとした「ファンタジー」としての「愛」ではなく、現実世界の「愛の証」として見るに至ったと。またそんな友人を笑顔で見る主人公の表情の晴れやかなのを見るに、結末としては彼女の人生の幕開けを示しているんじゃないかな、とプラスの意味に捕らえました。

 

コメントでもアレックスガーランド監督が「僕はこの作品で“恐怖感”を描く作品を作りたかった。つまり本作はゾッとする”感覚”について描いている」と書かれていますが、日常私たちがよく体感する「恐怖感」の再現の映画なんですよね。

男性の顔が同じであることについても「映画ではひとりの俳優がすべての男性を演じているけど、映画の中ではあえてそれに触れられていないし、主人公のハーパーが『なぜすべての男は同じ顔なのか?』と疑問を持つ瞬間がまったくない。そこで観客は理由を考えると思う。」と語られています。観客に「なぜ同じ顔に見えていると思う?」と問いかけの機会を全編通して作っているんですよ

 

すげぇぇぇぇなぁぁぁぁぁぁ

もちろん、なんにも考えず「気味が悪いぜ」って見方もできる映画なんですが、そうするとちょっともったいないので、もやもやした気持ちのまま色々考察して解釈してみると面白い映画かな、と思います。

 

 

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