先日、随分久しぶりに母から電話がかかってきた。それはわたしの近況を聞きたいというよりも、医学的知見のアドバイスが欲しいというバリバリ職歴目当ての電話だった。一通りのQに答えてしまうと、母は質問を繋げる。ちなみに母はわたしが同人人間で文章を書いていることを知っているが、公募にチャレンジしていることは知らない。
母:で?最近もやってるの?(キーボードを打つような仕草)
私:あ~うん。そうね……
ここで嫌な予感がした。それでもここで何も言わないのもなんか変な間が空いてしまうし、なぜか母に隠し事をするのは未だに罪悪感が付きまとう。「正直に言う」「誤魔化す」「さらりと流す」の中で、わたしは「正直に言う」を選んだ。もしかしたらちょっとした良いコメントをもらえるかもしれない。まぁ、「ふ~ん」が最有力かなぁ……なんて考えていた。
私:公募の小さなコンテストだけど、選外佳作をもらったよ
母:え? ふ~ん。で?それってお金になるの?
まさかの大穴~~~~~~~~!! 何かプラスを期待したわたしが馬鹿だった。でも十分予測できたことじゃんよ。
私:いや、小さい賞だから大賞じゃないとお金にはならない。
母:なんだ。でも別にプロになりたいわけじゃないんでしょ?
私:……
母:え? 趣味よね? 本気で目指してるわけじゃないわよね?
私:うん、趣味だよ。
母:はぁ~~~あんたは旦那さんが許してくれるからいいわよねぇ
まぁそのあともいつも通りの会話。わたしは結構慣れてしまっているから、変な間を作ることなく会話を続けることができる。それでも思ってしまったのだ。
言わんかったらよかったわ~~と。
と、同時に気づいた。
なぜわたしはあの場で即答しなかった?
趣味だよ、と一言言えばよかっただけなのに。
どう考えても即答してしまえば良かったし、実際趣味じゃないのか? 一拍の間はどんな意味合いを含んでいるんだ?
下手くそだろうと、破綻していようと書いている間は楽しい。それは趣味と言えるだろう。ジャンルを変えても、文体を変えても、主人公を変えても、純文学的問いを意図的に残しても、エンタメに振り切っても。BLでも、現代社会構造でも、SFでも、寓話でも。楽しいのだ。
じゃあなぜ楽しいんだ……?何がわたしを突き動かすんだ?
そう、これは散々仕事でやってきたアレ。「NAZENAZE-BUNSEKI」
・前書いた文章よりもドンピシャに表現できる字句や文章が見つかると嬉しい。
・理解に留まっていた単語が自分の使える単語になると達成感がある。
・物語の緩急やメリハリが実感できると成長を感じることができて報われた気分になる。
・単純に以前よりタイピング速度が上がって嬉しい。
→そしてもっと上手になりたいと思うし、もっともっとと枯渇した気分にもなる。
その穴を埋めるために展開を分析しながら読む癖も付いた。名作映画はやはり「SAVE THE CAT」のビートシートに乗っていると表を埋めながら感じた。触れたコンテンツをノートに感想と共にまとめて、自分の作品の自戒も添えた。展開に悩めば脚本術の本を、語句に悩めば語句を増やすための辞典や辞書を漁った。狙う賞レースや書きたいジャンルがあれば過去大賞作を読んで出版社の傾向を掴んだ。
※なんでこんなことしてるんだ? いや、もちろん苦じゃないからしてるんだけど……
じゃあやっぱりわたしはプロになりたいのか?
わからない。……※マークに戻る。
ここまでくるとドツボに嵌まる。なんで書いてるんや、ワイは。
母は多分「お金にならないことを延々と続けて」と揶揄したかっただけなのだ。実学主義の我が家ではお金になること、資産になることこそ正義で、それ以外は全くの「無駄」。おそらく言葉に意味はない。もしかしたら「まさか本気でプロを目指して、それにかまけて子どもを生まないなんて選択は取らないでちょうだいよ?」という釘を刺したかったのかもしれない。
少なくとも「プロになるのか、ならないか」という本気の二択を迫ったわけじゃないことは、長年母と付き合っているわたしにはわかっていた。
ただ母の質問によって己のうちに新たな問が生まれてしまった。
わたしはプロになりたいのか?
……というか
公募に挑戦しているやつは皆どんな形であれプロになりたいんじゃないのか?
あまりの単純な答えへの到達に爆笑してしまった。最近爆笑することが多い。
ひゃくえむ。のあり得ないヴィレヴァンコラボも、「軒下」という言葉がフランス語にはなく「屋根の下」になることも。なんか全部笑えてくる。
なんだよ、やっぱりプロになりたいんじゃん。
余談だが、最近刃牙シリーズをネトフリで見ている。
その中で「男子はねーー 誰でも一生のうち一回は地上最強ってのを夢見る」という刃牙のセリフがある。
その通りじゃねぇかと。
いや、本当にその通りじゃねぇか。
「公募勢はねーー誰でも一生のうち一回は文壇最強ってのを夢見る」
文字にしてみると結構大袈裟だけど、でも真意だと思う。この文壇最強っていうのが、新人賞を取ることなのか、ベストセラーをバンバン出し続けることなのか、本屋大賞を取ることなのか、直木賞・芥川賞を取ることなのか、はたまた文豪として名を残すことなのか。それは各々の上り詰める山の頂上に何が掲げられているのかって話で。
じゃあ、わたしはプロになりたいとして。
その決意をしたところで結局やることも、できることも変わらない。傾向を捉えて、対策を練って、研鑽を積んで、その繰り返し。
天命を待つなんてできないから人事を尽くして数を打つ。例えば一次通過確率が5%だとして、10作出せば1ー0.95の十乗だから……10作出せば約40%一作は通る。20作出せば約64%一作は通る。
え、やば、二分の一以上じゃん。ミラクル?
通過する確率はどんどん上がる。下がることは絶対にない。
この数字には根拠もないし、応募作の総数も関係してくるし、そもそも自分の分析が間違っている可能性だってある。
でもすごい夢がある。
しかも、チャレンジしたって時間を使うだけで誰か死ぬわけじゃない。右足を友に食べられたり、マッハ突きで右腕を失うわけでもない。
そう納得して、わたしは今月末の掌編小説をいつも通り提出した。