ちょっとホラーでも見る?

映画とかアニメとか日々のこととか

公募勢はねーー誰でも一生のうち一回は文壇最強ってのを夢見る

 先日、随分久しぶりに母から電話がかかってきた。それはわたしの近況を聞きたいというよりも、医学的知見のアドバイスが欲しいというバリバリ職歴目当ての電話だった。一通りのQに答えてしまうと、母は質問を繋げる。ちなみに母はわたしが同人人間で文章を書いていることを知っているが、公募にチャレンジしていることは知らない。
  
 母:で?最近もやってるの?(キーボードを打つような仕草)
 私:あ~うん。そうね……

 

 ここで嫌な予感がした。それでもここで何も言わないのもなんか変な間が空いてしまうし、なぜか母に隠し事をするのは未だに罪悪感が付きまとう。「正直に言う」「誤魔化す」「さらりと流す」の中で、わたしは「正直に言う」を選んだ。もしかしたらちょっとした良いコメントをもらえるかもしれない。まぁ、「ふ~ん」が最有力かなぁ……なんて考えていた。
 
 私:公募の小さなコンテストだけど、選外佳作をもらったよ
 母:え? ふ~ん。で?それってお金になるの?

 

 まさかの大穴~~~~~~~~!! 何かプラスを期待したわたしが馬鹿だった。でも十分予測できたことじゃんよ。

 

 私:いや、小さい賞だから大賞じゃないとお金にはならない。
 母:なんだ。でも別にプロになりたいわけじゃないんでしょ?
 私:……
 母:え? 趣味よね? 本気で目指してるわけじゃないわよね?
 私:うん、趣味だよ。
 母:はぁ~~~あんたは旦那さんが許してくれるからいいわよねぇ

 

 まぁそのあともいつも通りの会話。わたしは結構慣れてしまっているから、変な間を作ることなく会話を続けることができる。それでも思ってしまったのだ。
 言わんかったらよかったわ~~と。
 と、同時に気づいた。
 
 なぜわたしはあの場で即答しなかった?
 趣味だよ、と一言言えばよかっただけなのに。
 
 どう考えても即答してしまえば良かったし、実際趣味じゃないのか? 一拍の間はどんな意味合いを含んでいるんだ?
 下手くそだろうと、破綻していようと書いている間は楽しい。それは趣味と言えるだろう。ジャンルを変えても、文体を変えても、主人公を変えても、純文学的問いを意図的に残しても、エンタメに振り切っても。BLでも、現代社会構造でも、SFでも、寓話でも。楽しいのだ。


 じゃあなぜ楽しいんだ……?何がわたしを突き動かすんだ?
 
 そう、これは散々仕事でやってきたアレ。「NAZENAZE-BUNSEKI
 ・前書いた文章よりもドンピシャに表現できる字句や文章が見つかると嬉しい。
 ・理解に留まっていた単語が自分の使える単語になると達成感がある。
 ・物語の緩急やメリハリが実感できると成長を感じることができて報われた気分になる。
 ・単純に以前よりタイピング速度が上がって嬉しい。


 →そしてもっと上手になりたいと思うし、もっともっとと枯渇した気分にもなる。
 その穴を埋めるために展開を分析しながら読む癖も付いた。名作映画はやはり「SAVE THE CAT」のビートシートに乗っていると表を埋めながら感じた。触れたコンテンツをノートに感想と共にまとめて、自分の作品の自戒も添えた。展開に悩めば脚本術の本を、語句に悩めば語句を増やすための辞典や辞書を漁った。狙う賞レースや書きたいジャンルがあれば過去大賞作を読んで出版社の傾向を掴んだ。
 

 ※なんでこんなことしてるんだ? いや、もちろん苦じゃないからしてるんだけど……
 じゃあやっぱりわたしはプロになりたいのか?
 わからない。……※マークに戻る。

 

 ここまでくるとドツボに嵌まる。なんで書いてるんや、ワイは。


 母は多分「お金にならないことを延々と続けて」と揶揄したかっただけなのだ。実学主義の我が家ではお金になること、資産になることこそ正義で、それ以外は全くの「無駄」。おそらく言葉に意味はない。もしかしたら「まさか本気でプロを目指して、それにかまけて子どもを生まないなんて選択は取らないでちょうだいよ?」という釘を刺したかったのかもしれない。
 少なくとも「プロになるのか、ならないか」という本気の二択を迫ったわけじゃないことは、長年母と付き合っているわたしにはわかっていた。
 ただ母の質問によって己のうちに新たな問が生まれてしまった。

 

 わたしはプロになりたいのか?

 ……というか

 公募に挑戦しているやつは皆どんな形であれプロになりたいんじゃないのか?

 
 あまりの単純な答えへの到達に爆笑してしまった。最近爆笑することが多い。
 ひゃくえむ。のあり得ないヴィレヴァンコラボも、「軒下」という言葉がフランス語にはなく「屋根の下」になることも。なんか全部笑えてくる。
 なんだよ、やっぱりプロになりたいんじゃん。

 

 余談だが、最近刃牙シリーズをネトフリで見ている。
 その中で「男子はねーー 誰でも一生のうち一回は地上最強ってのを夢見る」という刃牙のセリフがある。

 その通りじゃねぇかと。
 いや、本当にその通りじゃねぇか。

 

「公募勢はねーー誰でも一生のうち一回は文壇最強ってのを夢見る」

 文字にしてみると結構大袈裟だけど、でも真意だと思う。この文壇最強っていうのが、新人賞を取ることなのか、ベストセラーをバンバン出し続けることなのか、本屋大賞を取ることなのか、直木賞・芥川賞を取ることなのか、はたまた文豪として名を残すことなのか。それは各々の上り詰める山の頂上に何が掲げられているのかって話で。

 

 じゃあ、わたしはプロになりたいとして。
 その決意をしたところで結局やることも、できることも変わらない。傾向を捉えて、対策を練って、研鑽を積んで、その繰り返し。

 

 天命を待つなんてできないから人事を尽くして数を打つ。例えば一次通過確率が5%だとして、10作出せば1ー0.95の十乗だから……10作出せば約40%一作は通る。20作出せば約64%一作は通る。


 え、やば、二分の一以上じゃん。ミラクル?


 通過する確率はどんどん上がる。下がることは絶対にない。
 この数字には根拠もないし、応募作の総数も関係してくるし、そもそも自分の分析が間違っている可能性だってある。
 でもすごい夢がある。
 しかも、チャレンジしたって時間を使うだけで誰か死ぬわけじゃない。右足を友に食べられたり、マッハ突きで右腕を失うわけでもない。

 

 そう納得して、わたしは今月末の掌編小説をいつも通り提出した。

某編集部からメールが来たでって話

 幻冬〇ルネッサンス新人賞に応募して、編集部からメールが来た。きっとこの覚書は、これから幻冬舎◯ネッサンス新人賞に出そう、またはすでに出した、というような後続のためになると思うから記しておく。だから伏字も伏字の意味を成していない。

 
 それはわたしが公募に挑戦し始めて5か月ほどだった2月の中旬。
 3月末にあるデカい公募二つの原稿+アンソロ原稿+なんかハマってしまったコンテンツのBL小説を絶賛執筆中のド修羅場にそれはやってきた。
 
 わたしのメールボックスに個人名でメールが届く。しかもその内容の1行目には[コンテスト結果につきまして]だった。
 
 え?
 
 普通に心拍がゲキ上がりした。
 というのも、コンテストに出品して、大賞や少なくともノミネートになった人間には発表前に打診があるらしいというのは薄っすらネットの情報で知っていた。もしかしてそれか……? と思いつつ、で、いつのだ……? となった。
 毎月何かしらには出すようにしていたのもあり、もうどのようなレーベルの何に出品していて、いつが一次審査でいつが最終審査なのかも、この時にはわからなくなっていた。
 
 ドキドキしながらメールを開く。それは1月末に出していた「幻冬舎ルネ〇サンス」編集部の編集の方からのものだった。
 完全新作である必要はなかったため、他の文学賞に出したものを、読んだばかりの「SAVE THE CAT」のBS2シートに見様見真似で乗せ、ブラッシュアップしたものだ。
 ただ結末を大きく変えたり、主人公を立体的に描写するために登場人物を増やしたりしたせいでほとんど書き直すことになり、4~5日で2万字にしたギリギリの原稿だった。
 そのメールには、コンテスト応募への謝辞、社内選考での講評を添付すること、それに加えて、「軒下様の作品は、社内でも非常に印象深く、多くの編集者の記憶に残る魅力的な内容でした。」なんて嬉しい言葉が並んでいる。

 まさか広義のNTRモノが編集部に読まれるどころか、こんな言葉までもらえるなんて……
 世間的には性癖異端者であろうわたしはこういう認定の言葉に弱い。NTRは良いぞ、の布教活動もできたわけだ。

 続けて読んでいく。

「惜しくも今回のコンテストでは大賞に至りませんでしたが、……」
「惜しくも今回のコンテストでは大賞に至りませんでしたが、……」
「惜しくも今回のコンテストでは大賞に至りませんでしたが、……」

 

 い、い、い、い、至ってへんのか~~~~~~~い!!!!!!


 至ってへんのかい! ……である。
 至ってへんのかい!

 

 まぁ、そうよね……我が栄達の道は未だ途上なりよ……と思いながらそのメールの続きを読んでみる。

「選考委員からは高い評価を受けており」……おおん、嬉しいな。
「今後の展開に大きな可能性を感じております。」……おおん。嬉しいな。……大きな可能性?

「つきましては、担当編集者とともに内容をさらに磨き上げ、装丁や販売戦略を含めたご提案を差し上げたく存じます。」……おおん。雲行きが怪しい。

 

 ……つまりは、である。
 おそらく、ネットの海からこの記事にぶち当たった人はすでに色々調べていらっしゃるとは思うのだが。
 幻冬舎ルネッサ〇スは自費出版で有名な会社なのだ。こういった話をすることで「自費出版どうですか?」という方向に持っていくことも含めたビジネス
 合わせてその相談は「お電話にて詳しく」と来た。
 この感じで電話口で説得されたら揺らいで押し切られてしまう自信がある。わたしはめちゃめちゃチョロい。

 でも、もしかしたら……そんなチョロいわたしはその返信に以下のことを記してみた。
「講評マジサンクス。めっちゃ嬉しい。励みになる」
「海外にいるから電話できんのや。メールで失礼すんで~」
「装丁や販売戦略を含めたご提案っちゅうのは自費出版のことなんか?」
「それとも教えてくれたウェブメディアの電子媒体掲載のことなんか?」
「忙しいと思うけど連絡ほしいでござる」


 もちろん返信はこなかった
 まぁ、そうだよな。文章なんて読まなくても娯楽のあふれる時代に、出版社がお金をかけるなんてよっぽどのことだ。


 でも講評をもらえたのは本当に嬉しかった。たとえそれが鯛を釣るための海老だったとしても、少なくとも文章を読んで講評を書いて、なおかつ「読者の読後感を強めるならこういう方向性でオチを付けたらいいですよ」なんていう、書いてる側では欠落しがちな読者目線の視点をくれるのは本当にありがたい。
 編集のプロの仕事ってこういうところなんだろうな。そんなプロの目に一瞬でも晒されたのであれば、物書きルーキー的にはラッキーだ。初めての読者である下読みさんは(いるのであれば)OKしてくれて、そのうえで編集部の机上に乗っている。
 海老はちゃんと海老の味がして美味い
 
 だがしかし、正直、自費出版をするとてそのお金はどこにある? 同人誌の頒布とはわけが違う。
 それに、少なくとも「出版社が自分の身銭を切ってまで出そうとは思えなかった作品」であることに違いはないわけだ。
 うっ……自分の言葉が鋭すぎる。が、その通りだ
 これから自転車で走り出そうとしている長い長い山道は、きっとそんな状態で走り続けることはできないだろう。
 自分で判断して駆け引きもしなきゃいけないし、チェーンが外れるとかのメカトラも一人でどうにかしなきゃいけない。もしかしたら最後尾から100人抜きとかしなきゃいけなくなるかも。


 強くなれ、軒下……(CV:森〇保祥太郎)である

 

 きっとこの記事にたどり着いた人は同じような立場の人もいるんじゃなかろうか。
 もちろん、お金に余裕があって「出版っていう記念が欲しい」「絶対売れる!」「本という形にしたい」という人は受けていいと思う。プロの編集者と仕事をするっていうのも魅力的だ。「心霊探偵八雲」の作者、神永学さんのように自費出版から作家デビューをしたという経歴の人もいる。
 だからすべての自費出版が悪いわけでもないし、これは少なくとも「チャンス」であることに違いない。
 でもわたしはこのチャンスを逃すことに決めた。
 
 初志貫徹、「人の金が使いてぇ」を貫くために。
 というか、ガチで普通にお金がない。宵越しの金を持たなさ過ぎて。
 
(余談なんだけど、検索しているとメールの文面はまぁコピペっぽくて。ちょっと良いなと思ってた人にデートに誘われてウキウキしてたら、その人はありとあらゆる女の子に同じ文面でアタックしていることを後で知り「あ、自分だけじゃなかったんだ……」と勝手に傷ついてしまう……なんか、あの気持ち。伝わるかな、この感覚)
 
 
 
 
 
 
 

 

わたしはママチャリを漕いでいる

 わたしはおそらく「愚か」なんだと思う。それは例えばかつてのバカッター的なことをやらかしてしまうとか、清水の舞台から紐なしバンジーをして警察の厄介になるとか、そういう類のものではない。先行きが見えていない、または見ずに動けてしまう無鉄砲な「愚かさ」なのだ。

 

 わたしの一族はどちらかというとタイパ・コスパ・体裁を気にする一般的な人々だったのだが、わたしはそれを木っ端微塵にしてしまう愚かさがあった。いうなれば麻雀で最初からドラ牌を持っているにも関わらず、役の決まりきる前から場に切ってしまうような、そういう類の愚かさだ。

 


 先日リポストしたポストを読んでなるほどな、とも思ってこんなことを書いてみる。
 このポストをざっくり要約すると、「毎日やっていることには才能のなさに絶望しないけど、あんまりやってこなかったことに絶望は現れるよね」というものだった。日頃そんなにやっていない事柄は自分の能力を推し量る機会を得ることが少ないから、自分の思い込んでいる才能とズレが生じるよね、という捉え方をわたしはした。(これはあくまでわたしの読み取りなので、気になる方は過去のリポストを探し出してほしい。ポスト主にご迷惑をかけたくないのでここでは割愛させてもらいたいのだが)
 
 それに合わせてわたしが思ったことは「この絶望って賢い人にしか発生しないんじゃね」だった。というのも、自分よりも格上の才能に絶望する人って、前を走る人の背中から自分との間の距離が測れる人で、その間の途方もない道のりに自分の可能性や労力、どこまでできるかと言う予想といったもろもろを合算して、算段を自ら付けられる人なのだ。
 理想とする完璧を正しく捉えられるから、完璧ではない自分の欠けた部分がちゃんと手に触れてわかってしまう人なんだと思う。

 


 これを補強する話をもうひとつしたい。
 それはわたしが大学時代に受けた文学の授業の先生の言葉だ。
 当時、すでに前期で必要単位をほとんどとってしまっていたわたしは、「授業を取ればとるだけ学費の日割りが安くなるんだから、今後つく職業に関係のする授業は余計なものだろうと全部取りなさい。資格欄にかけるものならなおのことヨシ」という親の言いつけを破って、まったく医学にも看護学にも関係のない趣味の授業を取りまくっていた。哲学やら文学、児童教育、あとなんだったかな……どこかにボランティアに行くような授業があった気がする。
 
 自分がたどり着く白い戦場は決まっていたし、その戦場で生き残る兵士がとりあえずたくさん欲しい職業だったので、GPAももちろん見ない。正直単位を落としてしまっても留年さえしなければ支障がない。だからモグリ同然で後期の授業は申請するだけしていた。完全に楽しみのための授業である。
 
 前述の授業というのは教育学部の先生がしていた木曜1限の文学の授業だった。
 それは所謂ラクタンの正反対を行くものだ。2週間に1回はレポート提出で、1回でも不提出であれば単位不認定。ちなみに遅刻をするたびに減点。3回遅刻したら授業は出禁。それ以外にもいろいろと厳しい制限がかけられていた。ちなみにこのレポートというのも、授業で取り扱った文学のその後を2000字以内で創作して書くというものだった。今思えば二次創作のSSじゃねぇか、である。わたしはそれを良いことにBLを書きまくっていた。先生、あの時はごめんなさい。
 
 第1回目のガイダンスには全体を覆い尽くすほど生徒がいた。それも、さざめいている噂話を聞いてみると前期で落としてしまったがために何かしらは取らねばならぬという切羽詰まった感じだった。今思えば、こんな制限がある上に1限目朝からなんてそりゃあ、できることなら取りたくないはずである。
 案の定というべきか、2回目には20人弱になり、3回目ぐらいには14人ぐらいだった気がする。ちなみに最終授業は両手におさまるぐらいになっていた。
 
 先生が中盤で暴露っていたのだが、「正直レポート見るのしんどいんですよ。だからこれぐらい人数絞りたかったんです。それにこんなめんどくさい授業受ける人だったら、ちゃんとレポート書いてきますからね。単位認定も楽だし」とのことだった。先生の思惑通り、最終授業に並んでいたのは選ばれし者好きたちだった。不思議なんだけどなんかみんなオタクっぽいんだよね。わたし含め。なんで? 黒いパーカーと眼鏡のせい?
 
 今でも思うのだが、わたしはこの時初めて「わたし自身をあんまり知らない人に、自分の書いたものを読んでもらえる楽しさ」を知った気がする。それまでも中学の時の交換日記や、高校の時のブログも友人には読んでもらえていて楽しかったのだが、それには前提としてわたしを知っている人たちだというのが先行してあった。この授業が初めての「同人体験」に近いのかも。それも授業という強制力を持っていて、なおかつ相手は「教育学部の先生」なのだ。やっぱりドキドキしたよね。よく毎度恥ずかしげもなくBLを出したな……
 


 話が逸れた。時を戻そう。
 そこで先生がすごく印象的なことを言っていた。先生は三人兄弟の長男で、姉と妹がいた。つまり真ん中っこだった。(たしかそんな家族構成だった気がする。ちょっとあやふやなんだけど、妹がいたのは確か。)その妹というのが大層賢く、兄弟の中でも群を抜いて勉強ができたらしい。先生からするとアカデミアに残って学問を修めた方が良いだろうとさえ思うほどだったのだ。しかしその妹はあっさり就職した後、1、2年以内に結婚を決め、すっきり退職し、パートか何かに切り替えたらしい。それも「やった~! これで人生安泰!」とこぶしを振り上げて喜んでいたというのだ。
 
 先生はまとめとして「妹は明らかに僕より賢かったんです。勉強だけじゃなくて、何においても。賢いから最良や最善の道を見つけるのが早くて、先行きを見て最大効果の取れる選択をするんですよね。片や僕は頭が悪いんですよ。じゃなきゃ、こんな金にもならんよくわからん文学の研究をして大学の先生なんてやってないと思います」と言い放った。
 当時のわたしは「いや、先生は自分の才能に多少なりとも自信があって、それを信じることができたから学問の道に残れたのでは?」と冷めきっていた。自分を賢いとは思っていなかったが、どちらかというと妹さんの発想の方が理解できた。だからこそ、親の期待する通り、紙面上も口上でも安牌と言える職業に就いた。一般家庭と言われるど真ん中をひた走るレールがぐんぐん敷かれていて、わたしはその上を回転ずしのようにぐるぐるいろんな景色を見ながら流れていた。
 
 


 しかしである。今になってわたしは痛感する。わたしはおそらく「愚かな」部類だったと。ことに文章に関しては。
 それを感じたのは文章を書き始めた最近だ。といっても今年の2月ぐらいから始めたものなのだけども。(……なので恥ずかしくなったらこの投稿は消します)
 
 二次創作においても、公募の文学賞においても、何周も先を行く先人というのがわんさかいる。作家の先生がポストしていたが文学はまさに「斜陽産業でレッドオーシャン」だ。それは作家になるチャンスがあらゆるフォーマットを持って転がっていて、そこに多くの作家志望者たちが殺到している点でもそうだし、高性能なAIの台頭により個々人で好みの文章を出力していまえば、そもそも他人の書いた文章など必要としなくなるという点でもそうだ。

 わたしも二次創作の世界に入りはじめた今年の2月から、読めば読むほど「いやいやwwwwwみんなプロ過ぎるwwwwwプギャーwwwwww」みたいな気持ちだった。
 でも、どこかで「まぁワイはどうやったって完璧になられへんしな」という俯瞰があった。それと表裏一体に出てきてのは、いいね!もブクマも付かないかもしれないけれど、「なんかかっこいい感じの文章を書いてみたいなぁ」というぼんやりとした希望。
 多分これがわたしの愚かたる所以だろう。何万光年も向こうに光る星を見て、「すっげぇ!あっこにいってみてぇ!」と鼻水を垂らしてフルカーボンでもない激重のママチャリをがっしゃがっしゃ漕ぎはじめた。
 
 ママチャリ第一歩?第一漕ぎ?として、何を読むにしても何を観るにしても構造を気にするようになった。根底に流れているテーマを気にしたり、どちゃくそ萌える理由を探してみたり。もし読んでいて違和感があるのであればなぜそれを感じるのかを掘ってみたり。感想と一緒に「自分が書くならどういうものを書くだろう?」を意識するようになった。それもこれも必ずやるものではなく、かなりざっくりとした気まぐれでランダムなものなんだけれども。

 

 そうして無謀にも到達したのが公募への挑戦だった。
 今いただいているアンソロのお話や参加表明したアンソロの原稿を最後に二次創作はいったんお休みしようかと思っている。二次創作が嫌になったわけではない。現に今やってるゲームのSSは書いているし、おそらく1月にDLCが出れば書くことになると思う。ユメショもまだばりばりスピンオフ書いているし。なんだよ、お休みじゃねぇじゃん。ずっと閉店セールやってるみたいな感じじゃねぇか。
 
 それでも日々書いているのは公募に向けた文章だ。文芸賞、BLのWEB小説、地方公募賞……と手探りにいろいろ賞を模索し自分はどっちにママチャリを漕げば星に届くのかを試行錯誤している。届かないのかもしれないけど、でも「届くかも」と思ってママチャリを漕ぐのは楽しい。そう、楽しいのだ。毎日金にもならない文章を書いて、センスも才能もないのが痛いほどわかっているのに。なにせわたしは愚かだから、先行きも考えず無鉄砲に走れてしまう。

 

 もちろん愚かだから数日後には「飽きた」といってやめている可能性もある。このブログがいい例だ。

 9月ぐらいから物を書き初めて、すでにいくつか提出してはいるけれども。自分が一番信用ならないというのが恐ろしい。こんな仰々しいことを書いていながら、その可能性もめちゃくちゃある。めっちゃ怖い。そうしたらこの文章は消す。
 万が一、もし愚かな挑戦が続いて星に至ることがあったとしたら、その暁には「こいつを見てくれ、こいつをどう思う?」と聞く。それが愚かなわたしの今の目標だ。うそ、一次審査通っただけで普通に狂喜ポストをします。

 

 まぁ、こんな感じで。わたしは「愚かだなぁ」と思いながら輝く星に向けてママチャリを漕いでいるという話でした。
 

 

映画「関心領域」を観てみた

 結構話題になっている「関心領域」がアマプラに入ってきたので見ました。

 正直映画として面白いか?といわれると、画面が劇的に変化したり、物語が急展開するわけじゃないので、エンタメとしての面白みは皆無です。

 しかし、これは見なきゃいけない作品かな、と思います。

 そして、できれば精神的に丈夫な、少なくとも何も問題ない時に見てください。

 わたしは、ちょっと色々と立て込んでいた時に、ほろよいの梅酒ソーダを一杯ひっかけながら視聴したんですが、それを後悔するぐらいしんどくなりました

 普段エンドロールもしっかり見る派なんですが、今回は見られず画面を閉じました。

 しんどすぎて

 

 

あらすじ

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙が あがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。 スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、 建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?ーーーアマゾンプライムより

 

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以下所感よりネタバレになります。

 

 

所感

 この映画のベースになっているのは、アウシュビッツ収容所の所長として働くアドルフ・ヘスとその家族の物語です。この家族の豪華な邸宅のすぐ横はアウシュビッツ収容所。そこを隔てるのは1枚の壁だけ。

 まず特筆したいのは画面の作り方淡々とした日常生活の中に不穏な影を作る画面作りはA24のうま味が出ています。(ミッドサマーとかMEN 同じ顔の男たちとか)

 今回はそこに「音」が加わります。MEN 同じ顔の男たちでも、BGMの使い方が巧みだったんですけど、今回は完全に場面で流れている不協和音を含めた「音」が本当に大事だし、正直ここを聞き逃してしまうとこの映画の見どころは半分……いや、7割ぐらい失っているようなものだと思います。

 わざと真っ暗な画面に音が流れているだけの映像をながしてスタートしているあたり、作成者側からも「音」に注目するような無言の圧力がかけられています。

 この映画、全編通して家族の日常生活が画面上描かれています。凄惨な殺害現場や処刑のシーン、死体が出てくるわけじゃないんです。ずっと穏やかな日常。でもその後ろで銃撃の音、叫び声、何かの轟音がずっと絶えず流れてくるんです。もう、本当これがしんどい。耳を澄ませば澄ませるほど、「死」の音が聞こえる。叫び声も、何か言葉を叫んでるんですよ。命乞いなのか、名前なのかわからないんですけど、でも意味のある言葉を発しているのは分かる感じ。

 また、この家族。当然なんですが夫のルドルフが軍の高官なので裕福なんです。広い家に広い庭。子だくさんで、使用人も雇っている。一方でユダヤ人からはぎ取った毛皮のコートを吟味したり、「歯磨き粉からダイヤモンドが出てきてから歯磨き粉は必ずもらうの!」と雑談していたり、子どもたちがユダヤ人から抜き取った金歯のようなもので遊んでいたり。裕福でも、ユダヤ人のものを奪っていることには何の躊躇もないんですよ。もう本当に「人間だと思っていない」様がありあり。

 そんな感じで、家族の生活の穏やかにも見える風景なのに、ところどころホロコーストの事実が混ざっているんです。それだって「これは人体の一部だ」とか「誰かの持ち物だった」と関心を持てれば意味をなすんですけど、登場人物は関心を持っていないので意味を持ちません

 あと、登場人物の特徴として、「どこにでもいそう」な家族とその周囲なんですよね。ルドルフは完全に仕事人間なんですけど、その奥さんは少し横暴というか使用人に八つ当たりをしたり、キリキリ怒っていたり、ちょっと見栄っ張りなのかな?と思えるような部分があったり、それも含めてめちゃくちゃ人間臭いというか。そんな「どこにでもいそう」な人たち塀の中関心を持っていないからこそホロコーストは起こり続けている、という表れにもなっていて。

 そして、確実にルドルフは精神を病んでいそうなんです。鬱っぽく無気力で。最後のシーンの空嘔吐なんかまさにそうですよね。でも、多分本人はなぜそうなっているのか気づいていない。なぜなら、当時のドイツにとってホロコーストは正義であり、「アウシュビッツで効率的にユダヤ人を虐殺していくこと」は彼の仕事にすぎません。そこに「悪」や「罪」はなく、ただ彼は与えられた使命を懸命にこなしたに過ぎないのです。あなたも仕事や日常生活を行っているのではありませんか?それに疑問を抱いたことは?そこが怖いところだな、と。なおかつ、彼には養っていかなければいけない家族がいます。だからこそ仕事はやめられない。それも現代と一緒ですよね。

 映画の中盤で、収容所にいるユダヤ人のためにリンゴを埋める少女が出てきます。これはアウシュビッツ塀の中に関心がある、現代の考え方でいえば正義の位置の人、とでもいえるのでしょうか。しかし後半、そのリンゴを奪い合ったがためにユダヤ人同士で争い、ナチスに銃撃されてしまうシーンがあります。ここも、すべて音声のみになるのでそう思われるシーンとしか言いようがありませんが、それもしんどい。善としてやった行為が彼らの死を早めてしまっている

 

 正直、これは何か解説したり語ったりするようなものではないし、見てくれとしか言いようがない作品かな、と。この映画が淡々と進むからこそ感じる気味悪さや居心地の悪さ、不快感が一番この映画の醍醐味であり、ミソだと思います。

 逆にそれを感じることができればこの映画を見た意味がかなりあると思うんですよ。そこが「関心」を持てるかどうかの境目だと思うし、できることなら「関心」を持ってほしいと思ってしまいますね。これはわたしの傲慢ですが。

 これが「ホラー映画」という枠組みで観られていること自体は、実はかなり救いがあるというか。それは現代の我々が少なくとも後世に生きる「ホロコーストは悪」だと認識できていて、繰り返してはいけないものだとわかっているからです。

 一方で、それがいつまで続くのか。ちゃんと「悪だ」と断言し続けられるのか?と視聴者を試しているような映画です。わたしは弱い人間なので、ルドルフと同じ立場であれば同じようにふるまってしまうんじゃないか、という恐怖感もあって。それが余計にしんどい。わたしは正義の人でい続けることができるんでしょうか。わたしは関心をもって周囲を見渡すことができるんでしょうか。

 

 

 

ちょっと…いや、かなりしんどいので、次はハッピーアホアホラーを観ようと思います。

 

 

ブログの中に記載した「MEN 同じ顔の男たち」のレビューはこちら。個人的にはめちゃくちゃ好きな作品です。多分好みは分かれますが……

 

hokishita-honpo.hatenablog.com

 

こちらはオフィシャルサイト

happinet-phantom.com

 

映画「パージ」を観てみた

結構面白かったです。

これ、実際に起こり得そうだから怖いですよね。あんまり絵空事ではなさそう感というか。

これが放映された2013年は娯楽として楽しめるのかもしれませんがちょっと2025年の今は恐怖の方が強い気がします。

OPも凄惨な虐殺・暴動の映像と和やかなクラシックが流れるというのはホラーやサスペンスにおいてもはや常道というか王道のような流れですが、やっぱりぞくぞくしますね。イカゲームの殺戮シーンでもfly to the moonが流れるシーンなんかは結構記憶に新しいんじゃないでしょうか。

 

あらすじ

パラノーマル・アクティビティ」シリーズの製作ジェイソン・ブラムと「トランスフォーマー」シリーズのマイケル・ベイの共同プロデュースで、製作費300万ドルという低予算ながら世界興行収入が8000万ドルを超えるヒットを記録したスリラー作品。人々の生活を裕福にするため、安全を維持するために政府が定めた「1年に一晩(12時間)だけ殺人を含む全ての犯罪が合法になる」という法律「パージ」。この夜は、警察や消防といった救急サービスの機能はすべて停止なり、街は完全に無法地帯と化す。妻と2人の子どもと暮らすジェームズ・サンディンは、家族とともに「パージ」の夜を完璧なセキュリティの家で平穏に過ごすはずだった。しかし、「パージ」開始直後にターゲットとなった1人の男を家にかくまってしまったことで、暴徒と化した市民から一家全員の命が狙われることとなる。一家の主ジェームズ役にイーサン・ホーク。監督は「ニューヨーク、狼たちの野望」でもホークと組んだジェームズ・デモナコ。(映画.comより)https://eiga.com/movie/78850/

 

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

以下、所感に当たりますのでネタバレ注意です。

 

 

 

所感

題材としては面白い。今後の深堀に期待。という印象です。

設定や題材は面白いし、結構皮肉というか社会への強烈な風刺もきいてます。

恐ろしいのは、今の現代がちょっとパージに近づきつつあることです。

だから楽しめたか、というよりは恐怖感が勝つかも。

あとはもうひとひねり、もうひとひねりが欲しい…という感じ。言いたいことはわかるんだけど、もっと心をえぐってほしい…という、かゆいところがそのまま置いておかれている感です。

 

主人公は防災用の警備システムを売るセールスマンの男(ジェームズ)と、その一家。

本人は元から富裕層になったというよりかは、パージを恐れて警備システムを取り付ける富裕層に、商品を売りまくって富裕層になった、いわゆる「成金」パターンのようです。しかもジェームズはパージ支持派。まぁ、パージがあるから富を得ているので当たり前と言えば当たり前ですが。

セールスを終えて帰宅し、そこら辺の家族と変わらない会話をしています。思春期の娘(ゾーイ)が年上の彼氏(ヘンリー)と交際するのを反対したり、ちょっとオタク気味の息子(チャーリー)がいたり。そんな和やかな住宅街なのに、みな刃物のメンテナンスやピリピリした会話などパージ前の緊張が高まっている様子。穏やかなはずの環境なのに、このひりひりした感じも良いですね。あべこべ感が少しコミカルです。

チャーリーはどうにもパージに対して疑問を抱いているようですが、母親(メアリー)は「助かっている」「いいことだ」と諭します。ここが怖いところで、大人は社会の風潮を受けがちで「国が推進しているパージ」に対して疑問を持っていないんです。分別がないとされている子どもの方が否定的(でまとも)なんですよね。もっと正しく言うと、この場面の母親自身も少し疑問は持っていそうなんですが、自分に言い聞かせているような雰囲気なんです。でもそれを言えない「雰囲気」になっているというか。

この構造がなんとも気持ち悪くて良いよくないんだけど、世間一般にはあるあるだよね、という。

 

夜になって家々がロックダウンを始めます。主人公の家も例外ではありません。

そんな中チャーリーはジェームズに聞きます。「パージには参加しないのか」と。

ジェームズはその必要性がないことを説明しますが、じゃあ必要になったら参加するのか?と痛いことをつかれるんですよね。

どうにもジャームズもパージによって攻撃を与えること自体は快く思っていない、でも人の暴力性を解き放ち、今後の平和な国の運営のためには仕方ないという諦めのような気持ちがうかがえます。ここも大人のいやなところがありありと書かれています。

また、主人公が仕事をする背景でパージのメリットが紹介されています。

犯罪率が減少したこと、またそれに合わせて経済的な発展があったこと…

失業率が低下したこと。(そりゃ失業しているような社会的弱者はパージされてるんだから当たり前やろって感じなんですけど

ディストピアだ……

 

ジェームズが仕事をしている間、各々が自室で好きなことをして過ごします。

娘の部屋には恋人が忍び込んでいたり、(とんでもない

母はランニングマシーンで運動していたり。

息子は自作のラジコンのようなおもちゃを家の中で走らせますが、監視カメラに黒人が助けを求めているのを発見します。

息子は見かねてロックダウンを解除してしまいます。早く家の中に入れと黒人を招き入れます。

 

個人的なところですが、ホームレスの黒人がパージされる対象で、パージする側がみんな白人であるところが良かったなと。時代の流れもありますが、今は映画の中でも黒人という背景で苦しむような描写は控える傾向にあります。

でも、リアルな世界では差別は消えてないわけですよ。映画という虚構の世界では黒人や白人であることに起因する差別はありませんが、実生活ではまだまだ存在します。もちろん、我々のようなアジア人もね。

そしてこの黒人、よく見るとドッグタグを着けているんです。退役軍人っぽい。国のために働いていたのに、そんな国が支持するパージの対象になってしまう。すげぇ皮肉

彼は彼が守ったものに殺されようとしているんですよね。

 

家族と黒人が一堂が玄関で遭遇。そんな中、年上彼氏ヘンリーが父親ジェームズを銃撃

 

いや、なんでぇ???いまぁ?

 

と思った人は多いだろう。

ジャームズも銃を持っていたため銃撃戦に。

ヘンリーは負傷。ゾーイはヘンリーを自分の部屋に匿います。

黒人男性は部屋のどこかへ隠れてしまいます。一気にパニック。

 

しかし、家族が大混乱の中、家に近づく集団が。

それはパージを支持する、楽しんでパージをする若者グループ。

身なりや雰囲気を見てみると、少なくとも困窮しているような感じではないんです。自意識が肥大化している若年層というか。いるいる、こういう子たち、と言われがちな感じ

彼らは先ほど匿った黒人をパージするために追いかけていたそうですが、その黒人を匿った主人公家族に差し出せとゆすりに来ていました。

ここ、怖いのはこの集団のリーダーっぽい男が自分たちは若くて、教養があって、育ちも良い。パージも支持している。あなた(主人公)も同じはずなのに、なぜ匿うのか、とガンギマリの目で言うところなんですよ。しかも仮面もつけず堂々と。

お前もパージを楽しめる側なのに、どうして楽しまないのか」と。

しかも、どうにもこの黒人はホームレスで、パージされそうになったところを抵抗して、彼らの仲間の一人を殺してしまったようで、それも大義名分となっています。

「我々は殺すのは構わないが、彼が殺すのは誤りである」「立場をわきまえていない」

と。如実に社会格差が出ていて、それが生死に関わってきてしまっている。しかもそれを国が推奨しているんです。きっつい……

また、ホームレスを匿い続けるのであれば家族もパージするぞと脅します。

敵の味方は敵理論。

 

その後は主人公とホームレスの暗闇かくれんぼです。

この中でチャーリーが黒人を助けようとする様は結構ぐっとくるシーンかと。

彼は一貫してパージに抵抗するんですよね。それは単純に目の前の困っている人を助けたいという思いかもしれませんが、その思いはこの狂った制度に一石を投じる姿勢なわけです。ここはマジで救いかな、と。

両者ぼろぼろの死闘の末、ホームレスを捕まえます。

ここが結構きつい……

ジェームズやメアリーは家族を守りたいだけ

ホームレスは生きたいだけ

当たり前のことが、パージという異常状態で成り立たなくなっています。

その思いを汲み取ったホームレスが自分を彼らに差し出せ、とジェームズに言います。

そんなホームレスの言葉に主人公は我に返ります。

ここはこの映画の醍醐味かな、と。いわゆる良識がありそうで”一見してまとも”な富裕層がこの狂った制度に影響されていて、彼らの言う社会のブタであるホームレスが高い精神性を見せるところなんですよ。人の価値って何なのか、を突きつけるシーン

併せて、主人公たちもこの狂った制度に翻弄されている側なのだと気づくシーンです。

しかし、時間切れとなり、集団が家に侵入してきます。

ここがまた怖い。皆がパージを楽しんでいるのです。

笑顔の仮面をつけているから、というだけでなく高笑いしたりスキップしたり。

もう完全に異常集団。

そしてジェームズが抵抗。お父さんが結構強い。ちゃんとやり返していく。

それでもリーダーの男に刺され死亡します。

しかし、そんな集団を襲撃するもう一つの集団が。

 

そう、あの冒頭に出てきたご近所集団です。次々に若者集団を殺していきます。

助けに来たと思うでしょ?違います

この家族を自らパージするために、集団を壊滅させたのです。

この後半15分がこの映画の肝のような気がします。

要はこの家族が警備システムを売りさばいたお金でいい暮らしをするのが許せない、と。

結局国のためと言いながら、憂さ晴らしをしているだけなんですよ。

 

そこに黒人ホームレスが乱入。家族を助けます。やっぱり退役軍人。強い。

形勢逆転したので、ホームレスは彼ら(ご近所集団)を殺すかどうか、メアリーに尋ねますが、メアリーは拒否。

何もせず朝の7:00を迎えてパージをやりすごす決断をします。

殺さない、という手段をもってパージという制度に抵抗するんです。

そんな大仰なことでもなく、子どもの前でパージに参加する姿を見せたくないというだけかもしれませんが、少なくともパージには加担しません

この場面、ちょっと滑稽なのは7:00のパージ終了の放送でみんなやめるんですよ。

こんな頭のおかしいことをしているのに、規則は守るんです。

 

 

パージという「八つ当たりの大義名分」を与えられた社会では、社会的な弱者がやり玉にあがる可能性が高いわけです。

しかも、この国全体が支持しているパージは殺めちゃいけない人が決まってるんですよ。いわゆる特権階級の人たちです。この人たちを攻撃すると違法になります。

もしこういう世界になった場合、この映画の観客である我々は果たしてパージをする側である強者なのか?それともされる側である弱者なのか?

これ、イカゲームを観た時にもゾッとした部分なんですけど、弱者への嗜虐をエンタメとして消費している我々は強者にいるようで、いつでも弱者に転落することはあり得るんです。

 

そんな心がひりひりする感覚を得たい方にはもってこいな映画かと思います。

どうにもこの後にシリーズ化してみたいで…続編や前日譚にあたる映画が作られているようです。これも見てみようかな。

 

 

 

公式WEBサイトはこちら。英語版ですが、がっつり次回作がメインで取り扱われてますね。

www.uphe.com

 

お題:夫婦の馴れ初め(面白いは何ものにも代えがたい話)

ちょっと新しい試みでブログを書いてみようかと。

夫にもここは見つかってなさそう かつ いい節目をこれから迎えるのである種の決意表明という形で。

 

お題「夫婦(カップル)の馴れ初めを教えて下さい。参考にしますので(笑)」

 

 

そう、何を隠そうわたしは女のひたすら多い職場で働いておりました。

渡る世間は女ばかり

職場のお姉さんや友達に誘われて合コンや飲み会に参加するものの、それなりに楽しく話して「今日はありがとうございました!またご飯行きましょう~(なんかええ感じのスタンプ)」とLINEをして終わり。

まぁ楽しいことも増えてきたし、あの時死ねなかったからこのままダラダラ生きていくしかないか~と思っていて。

そんな中、父方の祖父が亡くなりました。友達の結婚報告も、出産報告も「おめでとう!」で終わっていたのに、祖父の死はかなり堪えた。棺桶に入っている祖父をみて、また思ったより体が小さくなっている父をみて、人生って短くね?って実感したのはこの時です。

しかも、そのころは心を殺したまま仕事をすることに慣れ始めた時期で、何の感情も持たなくなってきていて。「とりあえず禄が食めたらよい」にシフトしていたので人生の終わりまで予測できてしまったというか。

このまま、この白い箱の中で、とりあえず仕事をして、死んでいく。が当然な気がしてしまったときだったんですよね。

これ、飽き性なわたしはいつまで耐えられるんだ?しかも人生短いのに、もったいなくない?と妙な危機感が芽生えて。

そこで思いついた。

「よっしゃ、他人の力借りるか!」と。今思うとめちゃくちゃ不純ですが。

 

 

そして始めました。マッチングアアプリを。(ちなみに〇miai というアプリです)

ゲームを買うときもそれなりに前評判を見るタイプなので、アプリの傾向や年齢層もリサーチしました。

婚活を目的としていることと、20代後半が食い込んでも不自然じゃないところ…としたらそのアプリが該当しました。

まぁ始めて見ると、当たり前ですが女性は入れ食い状態で。

なおかつ、わたしががあんまり条件を絞らなかったからかな。(過去の経験からヒモになりそうな人だけは避けた)

とりあえず

①働いていそう

②やり取りがちゃんとだいたい決まった時間に返ってくる(ホスト避け)

③できれば同じくらいの年齢(結婚を考えていそう)

④自分よりはデカそう(身長というより、体重的な意味で)

相手を面白い、と感じられるか(最重要)

これだけ。というか⑤が一番デカかった。

これからの長い人生を考えたら面白いのが一番じゃないか、と。

この発想は関西人なのかもしません。

当時は激務と引き換えに、東京でヒモを養えるぐらいのお給料をいただいていたのでお金はわたしが稼げば良いか~と思ってました。顔は、結局皮一枚の話だからどっちでも良かったです。

でも、面白さは金では買えねぇな、と。一番大事じゃねぇか、と

 

 

そんな中で何人かとやり取りしていくと、いたんですよ。面白い男が

夫です

恋活・婚活アプリなのに、ゲームの話とゲーム実況の話しかしない

牛沢とレトルトの動画の話をひたすらしている。

極めつけは、ポケモンの話はめちゃくちゃスムーズに進んでどっちがどのソフトを買うか、対戦する約束までしたのに、LINEに移行しようとか、会おうみたいな話をしてこない。

この人、もしかしてヤリモクならぬ、ポケモク?と思ってしまうほどに。

しびれを切らして「いや、もうLINEに行きません?」とイライラしてわたしが提案したレベルでした。イラチなので。

 

LINEに移行した時も必ず決まった時間に返信が返ってくる。

朝の7:00~8:00と夜の17:00~22:00。botか?というほどきっかり

あとで聞いたら出勤の時間と退勤~寝る前の時間だったみたいです。なるほど。

 

とりあえず会ってみないことにはわからんな、と。

いつ会えます?と聞いたら「土日・祝日であればいつでも」と。ここで普通の会社員なのかな?と思い至った。

 

時は金なり(ことわざ)、兵は拙速を貴ぶ(孫子)、飽き性はまず行動せよ(軒下)

…ということで、確か次の週の祝日、11/23(勤労感謝の日)の昼に決まりました。ちなみにわたしは夜勤だったので、その前に会うという強行

会おうとしてくれたのが夜じゃないのも好印象でした。夜はヤリモクが沸くのと、休日を自分のためではなくわたしのために使ってくれる、というその心意気。

(会ったうちの3人で一人だけ完全にヤリモクで、がっつりホテルに連れ込まれそうになり慌てて拒否したら、めちゃくちゃ怒鳴られた経験がありました)

忘れもしない、その日、渋谷は雨が降っていました。

それも「何が食べたいですか?」と聞かれて、ちょうど昼休みにオムライス特集をヒルナ〇デスだかバイキ〇グだかでやっていたので、「オムライス」と答えたらいくつかお店をピックアップしてくれて。そのお店が渋谷だったんですよね。

 

渋谷のヒカリエの前、屋根の下で文庫本を読みながら立っている。

あれ、写真で見るよりちょっと(縦にも横にも)デカい?とも思った。

ロングのチェスターコートからにょっきり足が出ている。

178㎝って嘘じゃなかったのか、と。盛ってない。マジ身長やないか、と。

(今思えば、盛るなら180㎝って書くところだろうな、と気づくわけですが)

ちゃんとプロフィールが嘘じゃないことも好印象でした。

(あとで聞いたら男性サイドの身長や年収のプロフィールは多少盛るように指南が入るそうです。知らなかった……)

 

その後オムライスを食べつつ話してお会計の時には「払いますよ」と。

この人、払ってくれるんだと感動。(なにせ過去にヒモを養っていたので、奢ってくれるという現象が新鮮だった

まだ時間もあったので「そしたらお茶しませんか。ご馳走しますよ」と提案して近くのカフェに。

わたしがケーキセットを頼むのをみて、ケーキセットを頼んでくれたのも好印象でした。言語化が難しいんですけど…

例えばわたしがケーキセットを頼んでいるのに飲み物だけ頼まれると、それはそれで遠慮しているのか?と気になってしまうタイプだったので。

ただの食いしん坊だってことは結婚した後に分かったんですけど

 

ちなみにお会計の時、オムライスのセットよりもケーキセットの方が高かったんですよ。それをみてオロオロしているのも良かったです。いい奴だな、と思いました

お店を出た時に「ご馳走してもらったケーキセットの方が高くてすみません」と謝ってくれたのですが「じゃあ、次ご飯行くときご馳走になります」と答えました。

次もう一度会いたいな、と思うぐらいには好印象だったので。

 

正直、話がめちゃくちゃ弾んだか、と言われるとそういう印象もなく。

でも不快ではなかったな、というのがありました。

店員さんやわたしに対しても横柄な感じはないし、「俺はありですか?」「ナシならその理由は?」みたいな急き立てるような圧もありませんでした。

良くも悪くもめちゃくちゃフラットで。

でも話は面白いし、話題も色々持っている。切り返しがうまいというか。

イジリでも、侮蔑でもない、フラットだけど面白い

これ結構貴重では?と思いました。

 

そのあと、もう一度会って、やっぱり面白いな、と。

しかも不快になる面白さじゃないな、と確信

そこから交際がスタートしました。(実はライバルが控えていたり、クリスマスが近かったりと色々要素はありましたが割愛)

会って2回目の12/4に交際スタートは結構早いのかも。

(しかも、この人がダメだったらもういいか~と飽き性が出てきてしまっていたので、2回目会う前にはアプリも消していました。アプリにいたのは正直2週間もないぐらいか…?)

面白いのは双方アプリを1ヶ月もやってなかったところです。即決即断

 

そんでなんだかんだ交際一年になる前に入籍して今に至ります。(転勤の色々があったので)

最近、もしかしたらこの人、面白いんじゃなくてトリッキーなのか?と思う部分が出てきましたが、全然飽きません

いい奴だし、私的には面白いし。

面白いは何ものにも代えがたいな、と夫を見るとつくづく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「ゲヘナ 死の生ける場所」を観てみた

…ということで見ました。有言実行。

 

hokishita-honpo.hatenablog.com

 

 

土着信仰・得体のしれない超自然的なものが私は大好物なのでしょっぱなから大興奮です。

 

ただ、これも何のネタバレも踏まずに1回観てほしい。

これは初見こそ面白い映画だと思います。

 

 

 

あらすじ

リゾートホテル建設の視察の為、サイパン島を訪れた土地開発会社の社員ポリーナとタイラー、現地のコーディネーターのアランとペペ、カメラマンのデイブの一行は、候補地であるジャングルに入っていく。そこで洞穴を見つけ奥へ進んでいくと、数体のミイラ化した死体があった。そこは米軍も把握していなかった旧日本軍の秘密基地だったのだ。さらに奥へ進んでいくと突然不気味な老人に襲いかかられ、驚いたアランは老人を突き飛ばして殺してしまう。5人はその場所に秘められた太古から続く呪いに翻弄され、誰も予想できなかった恐ろしい結末に導かれていく。この場所に秘められた謎と、不気味な老人の正体とは…。(アマゾンプライムより)

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、所感よりネタバレです。

 

 

 

 

所感

「あれ、こんな感じだったか???」

が正直な感想でした。2回目だったからかな~

1回目の視聴の時の感動が薄れてしまっている。それとも期待値フィルターが過剰にかかっているのか。

映画としてはちゃんと始末が良いし、1連の流れも悪くない

なのに、なんだこの違和感。

これは初見で感動がでかすぎたパターンと見た

とりあえず、徒然書いていきます。

 

まずはOP。いいぞ、いいぞ、このぞわっとする感じ~

サイパンの悲惨な歴史がオープニングとともに示されています。舞台がどんな場所なのかを教えるための映像がちゃんと怖い。

OPから場面が切り替わり主人公で土地開発会社社員のポリーナが移されます。仕事でここに来た様子。しかも昇進がかかっているようです。バリバリ仕事ができそうな雰囲気ですね。

 

どうにもここサイパンにリゾート地を建設するようで、地元の軋轢や住民の反対を押し切りながら強引に進めている様子。登場人物たちはこのご一行ですね。

あと、何となく現地人や他の人種を小ばかにしている感じがにじみ出てていい

これは日本人だから思うのかもしれませんが、何となく一行が白人としてのプライドや「私たちはすごいことを成し遂げようとしている、あなたたちはわからないでしょうけど」みたいな印象をうける。

そもそも土地を買いたたいて、全部ぶっ潰して、リゾートを開いて、富裕層を取り込むなんて資本主義の最たる形なんでしょうけどね。

 

少しずつ登場人物が徐々に出てきます。このシーンはポリーナと同じく会社員のタイラー、現地の案内人のアランとペペ、カメラマンのデイブの性格や人となりがうっすらわかるように描かれています。

ちなみにカメラマンのデイブのTシャツ・・・・・・スタッフに日本人いるな?

(監督が日本人でした。だから日本人の描写に違和感がないのか、と納得)

合わせて現地の説明。スペイン統治時代の話、太平洋戦争の話…ここでは争いが絶えません。

(スペインや日本の話がちょくちょく出てきます)

そもそもこの地は呪われているようです。穢れが染みついている、という感覚でしょうか。でも彼らは大きなビジネスチャンスですから気にしません。(バカデカフラグ)

 

彼らはその土地を撮影しつつどのようにリゾートを開発していくか相談していきます。確認のためにドローンが出てきました!!!この当時は画期的アイテムだったんだよな…

そんな中怪しい岩の集まりと人を発見。現地に赴きます。現地の人がこの岩に祈り?をささげていました。またこの祈祷していたおじいが怖いこと。意味深な言葉を残して去っていきます。物語の不穏なスタートです

 

一行はその先に洞窟を発見。彼らは調べることにしました。(死亡フラグ

どうにもここは旧日本軍の壕だったようです。そして現れる死体の山。なぜか女性も含まれています

皆さん、この死体の服装をよく見ておいてくださいね。あと顔だちも。

そんな壕の中になぜか生きている老人が。ここの演出、めちゃめちゃいい~~~

この老人の造形の皮膚とか、いわゆる骨と皮の感じがめちゃくちゃいい。

今回、この映画のいいところってこういった特殊メイクなんですよね。

明暗のちらつく壕の中で、不気味で、得体のしれない死者たちが襲ってくるという恐怖。

監督が片桐裕司さんという方なんですけど特殊メイクや特殊造形を手がけてきたキャラクタークリエイターでパイレーツイオブカリビアンとかウルヴァリンのお仕事をされていたようで。めちゃくちゃ納得。

(以下の記事がよかったのでシェア)

 

filmaga.filmarks.com

「アラン、絶対にお前は死ね」と遺言を残して死にます。これもなぜアランが名指しなのか……覚えておいてください。(2回目)ちなみにアランは登場人物の中で一番抜け目がないというか、仲間もだまそうとしているタイプです。

ここ、英語で「You must die」って言っているんですけど、「お前は必ず死ぬ」じゃなくて「お前は必ず死ね」なんですよね。字幕でみちゃうと「死ね」って書いてあるから

最初からネタバレを食らっちゃうんですけど…ここも日本語字幕を観る我々は結構不利なのかも…と思っちゃった。字幕なしで見れるようになりたいね(願望)

 

大きな音と揺れに苛まれる彼ら。

気づいた時には老人も、死体もなくなっていました。そしてさっきまで使われていたかのように明るく、新しくなる豪。不可解な現象に動揺を隠せません。

彼らは出口を探そうと探索に出ます。ここで別行動に出ようとするアラン。(めちゃめちゃ死亡フラグ~)

次々襲い掛かる不可解な現象。旧日本兵に襲われたり、幻覚が見えたり。案内人のペペ(現地人)がおかしくなったり。

探索していくとチャモロ人の伝説が描かれた壁画に到着します。ボージョボー人形の原型となった伝説のようです。花嫁と族長を象った2体の人形は離してはいけない、離すと呪われるというもの。

これ一時期めっちゃ流行ったな~……上記のようなバチバチに呪術的な品物ではなく、おまじない的な品物でしたが。(野ブタ。をプロデュースか?)

そんな中、デイブは落ちていた女の人形をポリーナに託します。「男の人形をみつければここから出られるはずだ」と。

 

そして徐々にかつて亡くした死者たちに襲われていきます。デイブは姉のクレアに、ペペは母親に。ポリーナは息子に。

自分の過失の有無に関わらず大事な人を亡くした人たちが一行を襲っていきます。…と書きましたが、どうにも過失がありそう

ポリーナは6年前に息子を亡くしていました。しかもその時恋人を伴っていたために、それに夢中になりすぎて息子が海にさらわれてしまったみたいです。

デイブも「あれは事故だ」と言いつつ姉に許しをこう言葉を吐いています。あとは股座から姉の頭が出てくる描写が怖い。ただの恐怖演出だったらいいんですけど、子宮の辺りに血痕がにじみ出てきたたり、妙に薄着だったり、もしかしたら性的な何かしらがあったのかも?と思わせます。(フロイト的発想よりも直接的すぎるか?)

ペペは母の話をしますが、どうにも母のその奥に自身の信仰がみえます。

母という自らを生み出した存在は、自分を如何様にもできる、というある種の強大なものにすべてを任せてしまう心理というか。彼は地元の人なのでより取り込まれやすいのかもしれません。

そもそも「ゲヘナ」という言葉自体が「死後悪人を裁く場所」すなわち「地獄」なので、その理論でいくとみんな悪人なんですよね。ここはサイパンなので、信仰を持たず、その地を荒らす彼らご一行もこの地にとっては「悪人」に変わりないわけだし。

 

呪いを解くカギを見つけようと、タイラーは日本語が堪能なので旧日本兵の日記を読み上げます。しかし、わかったことは過去、この防空壕でも旧日本兵が呪いに巻き込まれて死んでいったという結末です。(呪いがループしている)

ここも日本人が入っているからなのか違和感が少なくていい。日本刀持ち出したり、甲冑が出てきたりしなくていい。

ポリーナは(正気ではない)ペペが人形を持っているのを見つけ、人形が男女ともにそろったことでこのループから逃れようとしますが邪魔が入ります。アランです

ここが人間の業が深いところですよね。

うまくいけばみんな出られたのに、我先にと利益や欲を優先したり、恐怖に負けてしまったがために全部だめになってしまう感じ。いいね~~~~~~

人形を持つペペとの戦いはアランの勝利。

このシーンも怖くて良い。アランにシャベルで叩かれるたびにペペの顔が崩れていく描写がすごくいい

アランは逃げたポリーナや生きていたタイラーを殺そうと決意します。最後の一人となって生き残るために

一方でアランに襲われつつも生きていたタイラーはビデオカメラを観てあることに気づきます。この呪いの本質とは何なのか「証人となるのは1人だけ」とは何を意味するのか

追ってくるアラン、逃げるポリーナ、呪いの本質を伝えようとするタイラー。この三人が壕の中で対峙。タイラーはポリーナにアランを殺さないように伝えるとポリーナを殺害そしてタイラーもこと切れます。まさかのあっけない幕切れです。ですが、これが正解でした

そう、生き残ってしまいました

 

「最初に死んでおかなければならなかった」のに。(You must die)

 

 

ここからぞわっとするんですよ。怒涛の暗黒ネタバレターイム!!!!

アランはタイラーの持っていたビデオカメラを見返して、最初の死体は死んでいった他の仲間たち、突き飛ばした老人は70年ここに取り残された自分自身だったのだと気づきます。だから、旧日本軍の壕なのにズボンをはいた女性が出てきたり、寄り添う死体が出てきたりしていたのです。

そう、アランだけが壕の中でこの呪いのループに残されてしまいました

スタッフロール後のCパートも呪いの再生産を感じさせますね。(私はあんまり明るい意味を見出さなかった)

 

この映画結構ポスター詐欺というか…

 

filmarks.com

 

正直ポスターだとB級映画バリバリなんですけど、なんかめっちゃもったいない気がする。この感じだとパニック系なのかな?ハイハイ……と思ってみない人も出るんじゃないかと。

 

B級パニックホラーが見たいという人よりか、

映画としてまとまりの良い、オチがあるホラーを観たいという人にはお勧めです。