結構話題になっている「関心領域」がアマプラに入ってきたので見ました。
正直映画として面白いか?といわれると、画面が劇的に変化したり、物語が急展開するわけじゃないので、エンタメとしての面白みは皆無です。
しかし、これは見なきゃいけない作品かな、と思います。
そして、できれば精神的に丈夫な、少なくとも何も問題ない時に見てください。
わたしは、ちょっと色々と立て込んでいた時に、ほろよいの梅酒ソーダを一杯ひっかけながら視聴したんですが、それを後悔するぐらいしんどくなりました。
普段エンドロールもしっかり見る派なんですが、今回は見られず画面を閉じました。
しんどすぎて。
あらすじ
空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙が あがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。 スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、 建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?ーーーアマゾンプライムより
以下所感よりネタバレになります。
所感
この映画のベースになっているのは、アウシュビッツ収容所の所長として働くアドルフ・ヘスとその家族の物語です。この家族の豪華な邸宅のすぐ横はアウシュビッツ収容所。そこを隔てるのは1枚の壁だけ。
まず特筆したいのは画面の作り方。淡々とした日常生活の中に不穏な影を作る画面作りはA24のうま味が出ています。(ミッドサマーとかMEN 同じ顔の男たちとか)
今回はそこに「音」が加わります。MEN 同じ顔の男たちでも、BGMの使い方が巧みだったんですけど、今回は完全に場面で流れている不協和音を含めた「音」が本当に大事だし、正直ここを聞き逃してしまうとこの映画の見どころは半分……いや、7割ぐらい失っているようなものだと思います。
わざと真っ暗な画面に音が流れているだけの映像をながしてスタートしているあたり、作成者側からも「音」に注目するような無言の圧力がかけられています。
この映画、全編通して家族の日常生活が画面上描かれています。凄惨な殺害現場や処刑のシーン、死体が出てくるわけじゃないんです。ずっと穏やかな日常。でもその後ろで銃撃の音、叫び声、何かの轟音がずっと絶えず流れてくるんです。もう、本当これがしんどい。耳を澄ませば澄ませるほど、「死」の音が聞こえる。叫び声も、何か言葉を叫んでるんですよ。命乞いなのか、名前なのかわからないんですけど、でも意味のある言葉を発しているのは分かる感じ。
また、この家族。当然なんですが夫のルドルフが軍の高官なので裕福なんです。広い家に広い庭。子だくさんで、使用人も雇っている。一方でユダヤ人からはぎ取った毛皮のコートを吟味したり、「歯磨き粉からダイヤモンドが出てきてから歯磨き粉は必ずもらうの!」と雑談していたり、子どもたちがユダヤ人から抜き取った金歯のようなもので遊んでいたり。裕福でも、ユダヤ人のものを奪っていることには何の躊躇もないんですよ。もう本当に「人間だと思っていない」様がありあり。
そんな感じで、家族の生活の穏やかにも見える風景なのに、ところどころホロコーストの事実が混ざっているんです。それだって「これは人体の一部だ」とか「誰かの持ち物だった」と関心を持てれば意味をなすんですけど、登場人物は関心を持っていないので意味を持ちません。
あと、登場人物の特徴として、「どこにでもいそう」な家族とその周囲なんですよね。ルドルフは完全に仕事人間なんですけど、その奥さんは少し横暴というか使用人に八つ当たりをしたり、キリキリ怒っていたり、ちょっと見栄っ張りなのかな?と思えるような部分があったり、それも含めてめちゃくちゃ人間臭いというか。そんな「どこにでもいそう」な人たちが塀の中に関心を持っていないからこそホロコーストは起こり続けている、という表れにもなっていて。
そして、確実にルドルフは精神を病んでいそうなんです。鬱っぽく無気力で。最後のシーンの空嘔吐なんかまさにそうですよね。でも、多分本人はなぜそうなっているのか気づいていない。なぜなら、当時のドイツにとってホロコーストは正義であり、「アウシュビッツで効率的にユダヤ人を虐殺していくこと」は彼の仕事にすぎません。そこに「悪」や「罪」はなく、ただ彼は与えられた使命を懸命にこなしたに過ぎないのです。あなたも仕事や日常生活を行っているのではありませんか?それに疑問を抱いたことは?そこが怖いところだな、と。なおかつ、彼には養っていかなければいけない家族がいます。だからこそ仕事はやめられない。それも現代と一緒ですよね。
映画の中盤で、収容所にいるユダヤ人のためにリンゴを埋める少女が出てきます。これはアウシュビッツの塀の中に関心がある、現代の考え方でいえば正義の位置の人、とでもいえるのでしょうか。しかし後半、そのリンゴを奪い合ったがためにユダヤ人同士で争い、ナチスに銃撃されてしまうシーンがあります。ここも、すべて音声のみになるのでそう思われるシーンとしか言いようがありませんが、それもしんどい。善としてやった行為が彼らの死を早めてしまっている。
正直、これは何か解説したり語ったりするようなものではないし、見てくれとしか言いようがない作品かな、と。この映画が淡々と進むからこそ感じる気味悪さや居心地の悪さ、不快感が一番この映画の醍醐味であり、ミソだと思います。
逆にそれを感じることができればこの映画を見た意味がかなりあると思うんですよ。そこが「関心」を持てるかどうかの境目だと思うし、できることなら「関心」を持ってほしいと思ってしまいますね。これはわたしの傲慢ですが。
これが「ホラー映画」という枠組みで観られていること自体は、実はかなり救いがあるというか。それは現代の我々が少なくとも後世に生きる「ホロコーストは悪」だと認識できていて、繰り返してはいけないものだとわかっているからです。
一方で、それがいつまで続くのか。ちゃんと「悪だ」と断言し続けられるのか?と視聴者を試しているような映画です。わたしは弱い人間なので、ルドルフと同じ立場であれば同じようにふるまってしまうんじゃないか、という恐怖感もあって。それが余計にしんどい。わたしは正義の人でい続けることができるんでしょうか。わたしは関心をもって周囲を見渡すことができるんでしょうか。
ちょっと…いや、かなりしんどいので、次はハッピーアホアホラーを観ようと思います。
ブログの中に記載した「MEN 同じ顔の男たち」のレビューはこちら。個人的にはめちゃくちゃ好きな作品です。多分好みは分かれますが……
hokishita-honpo.hatenablog.com
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